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令和4年7月28日

 

 前回(1)は、白豚・黒豚を肉豚として母が飼育していた頃のお話でした。
 20年後、父は60歳で大工の組を解散して、養豚場の認定を受け、親豚を飼い子豚を産ませて、母と二人で育成する事業を始めました。
 豚小屋は順次拡大していき、親豚が数頭までに拡大しました。

 母豚は一回の出産で10頭ほどの子豚を産みます。
 時には母豚の乳首の数以上の子豚を産むこともあります。
 体がひ弱な子豚は、乳首取り争いに負けて衰弱していくので、二人して子豚を母豚の乳首に子豚の口をあてがって、順番に子豚が乳を飲めるように手助けしていました。

 また、授乳中に母豚が動いて子豚を踏むことがあります。
そこで、母豚が体を動かしても子豚を踏みつぶさないように、母豚を授乳中は固定する作りにしていました。

 子豚が生まれて、まずすることは、へその緒を切ることです。
次には、子豚の牙をペンチで抜きます。
先祖は猪なので、子豚には小さな牙があり、母豚が乳を飲ます時嫌がります。
猪は、どのように育てているのでしょうか?
そして、雄子豚の場合は雄の象徴である玉を袋から切り出します。
へその緒の切跡や、玉の切跡後は、赤チン・ヨードチンキで手早く消毒していました。
去勢すると体つきが丸くなって、肉豚として成長が期待できます。

 豚の出産は、夜が多いので、子豚が生まれる前、何日間は監視のために豚小屋での寝泊まりが必要でした。
そのため、仮眠用毛布と、夏は扇風機、冬はストーブを持ち込んでいました。

 そこで、当時としては珍しい監視カメラを豚小屋に設置して、生まれる状況を家の中のテレビモニターで見られるようにしてあげたら大変喜ばれました。

 生まれた子豚には、一匹ごとにイッチャン・ニイチャン・サンチャン等名前を付けて、時にはなだめ、時には怒り、子どものように可愛がっていました。

 時々、山の猪が夜這いに来ていましたが、200kg超の親豚が数頭、可愛い子豚が20-30頭いつもいて、山の中は平和で賑やかでした。