Think Globally, Act Locally!!
(地球規模で考え、地域で足元から実践)

2024.5

中山間地域にある故郷は、戦後70年余りで大きな変化がありました。
戦後は、大変な食料不足で収入不足の時代でした。
米は作っても販売するので、サツマイモが主食でした。タケノコも相当食べました。
祖母は、醤油・味噌を自作し、和紙原料の梶の木を採集し、蚕を屋根裏で飼っていました。
荒地でそばを栽培し、石臼をひき、そば粉をつくり、団子や「カライモねったいぼ」を作
ってくれましたが、頻度が多く嫌いになりました。

水は井戸水。井戸が枯れたら、近くの川から天秤棒で水桶を担いで運びました。
風呂は水・薪を使うので、毎日入れなく、集落で声を掛け合い、もらい湯していました。
菜種油をブリキ缶に入れ芯出した「ことぼし」に、マッチで火をつけ明りにしていました。
電気がついたのは小学5年生の誕生日でした。視力が大幅に良くなりました。
江戸時代から使われていたのか、時代劇で出てくる本読み台もありました。
祖父母の家はかやぶきで、時に青大将が大きな梁から落ちてくることもありました。
かやぶき屋根の下には、クマバチやスズメバチの大きな巣があちこちにありました。

馬や牛が各家で飼われ、荷物運びや田の耕作に使われていました。豚も飼っていました。
正月・小正月・初市・桃と端午の節句・六月堂・お盆・夏祭り・十五夜等楽しみでした。
正月・お盆に集まるお年寄りは、日清戦争・日露戦争・大東亜戦争経験者が多く、日本の
将来等について、喧々諤々で論議していた記憶があります。

当時は木材価格も高く、杉・ヒノキを子どもも一緒に山奥で植えていました。
炭焼・炭運び・薪拾いをすることも多く、野ウサギやムジナに山で会うこともありました。
その後、木材の価格が下落し、山を管理する人は高齢化して、山が荒れ、イノシシ・シカ
・サルが増えています。
田植え・稲刈りには、子どもも含め多くの人が集い、昼休みには近くの川で魚取りしてい
ました。畑は足らなく、山を母と開墾したこともあります。
今は、田畑を耕作する人が減り、耕作を依頼してなんとかなっていますが、耕作請負者も
少なくなり、耕作放置田畑が増えています。山を開墾した田畑は、また山になっています。

一日中遊んだ川は洪水が増え、涌くようにいた川魚達は農薬などで全くいなくなりました。
蚊帳の外までいたホタルや空を真っ赤にした赤トンボ、川トンボ、イモリ等激減しました。
木を飛ぶムササビやフクロウは見られなくなりました。スズメ・ツバメも減りました。

子ども達は、ほとんどが都会へ出ていきました。
集落も半分以上戸数が減り、高齢者がほとんどで、子どもの姿を見ることはありません。
集落維持に必要な川掃除・草刈り・神社掃除・夜回り等は回数が激減しました。
日本の原風景であった里山の多くが、このような現実になっています。