Think Globally, Act Locally!!
(地球規模で考え、地域で足元から実践)
平成29年7月28日
8月は、お盆、広島・長崎の原爆投下記念日、終戦記念日がある特別な月です。
私ごとですが、今年は母の初盆です。
母は、昭和2年生まれで戦前・戦中・戦後を生き抜いてきました。
母は11人兄弟姉妹の長女で、弟・妹の世話をしながら父母の手伝いに懸命でした。
兄弟姉妹が多いので、親戚に何人か毎、引取られて育てられた時期もあったようです。
戦争中は爆撃を受け、兄は戦争に行き、兄弟姉妹の何人かは幼くして亡くなっています。
結婚してからは、朝早くから日が暮れるまで、段々畑や山田で働いていました。
小さな体で、汗を流しながら、米俵や肥料等重い荷物を休み休み担いだり、黙々と畑を耕したり、
いっぱいに荷物を乗せたリヤカーを坂道で引いたり、わずかな休憩をとり木陰で涼んでいた姿を思い出します。
山を開墾して、畑にしていた時もありました。
電気もなく、川で洗濯し、渇水期には、川から水を運び炊事していました。
また、現金収入のために、40年間養豚していました。
信仰心が厚くて、毎朝仏前で熱心に祈っている後姿を忘れることはできません。
祖父母の介護、よく口喧嘩していても尊敬していた父の介護をし、最後には自らも介護を受けるようになりましたが、周りの人に「ありがとう。ありがとう。」と感謝していました。
高熱がおさまらず、死ぬ間際に流れた「ひとしずくの涙」は、「ありがとう」「さようなら」を言っていると感じました。
同じ世代の女性の多くが、また、先祖の多くの女性も同じような体験をしてきたと思います。
母が働いていた畑は今、杉・ヒノキの山になっています。
いつも先祖を供養していた共同墓地は、近くの墓石が倒され、人があまり来ないのか、造花のある墓が増えています。
村の多くが65歳以上で、子どもは数えるほどしかいません。
数百年続いた家系が途絶える家もあります。
懸命に生きてきて、田・畑・山・村を守り続けてきた先祖・先輩の苦労を思うと、戦後の自由・豊かさの代償は大きかった、偏っていたと反省させられます。
持続する社会のためには、先祖の思い・人生観・人柄・行動・写真など、わかる範囲で整理して残し、子どもや孫に現地で若いうちから伝えていくしくみが、必要だと思います。
理事長 久留 正成