Think Globally, Act Locally!!
   (地球規模で考え、地域で足元から実践)

 平成30年7月30日

 小学生の時、本を読んで、「日本陽明学の祖」といわれる中江藤樹の考え方・生き方に感銘しました。中江藤樹は、仕えていた大洲藩を、母親孝行するため脱藩して近江に帰り、私塾を開き、幅広く人材を育成し、「近江聖人」と称えられました。
 特に「脱藩してまで親孝行する」、また「知って行わないのは、未だ知らないことと同じ」という「知行合一」の考え方や行動が、強く印象に残っています。

 そのためか、私も就職してから、Uターンして親孝行の真似事でもと画策しました。
 ただようやく、Uターンしたのは、50歳を過ぎてからでした。

 Uターンして初めの5年間ほどは、両親ともにそれなりに元気でした。
 その後は父が病気がちになり、母が老々介護していました。しかし、私は起業したためにバタバタで、親孝行らしいものはほとんどできていませんでした。

 ところが老々介護していた母が倒れ、本気にならざるを得なくなりました。
 そのため、「介護の日」を毎週3日間設定して、田舎の病院・施設にいる両親に会いに行きました。

 父母がいる病院や施設が別々な時は、要介護2の父を要介護4の母がいる病院や施設に連れていき会わせ、生家に連れて帰ったり、墓参りしたり、花見に行ったりしました。
 また、昔の知り合いに会いたいという時は、一緒に車で訪ねていきました。

 無口な父が、体力維持のために不自由な足で病院の廊下をひたすら往復する姿には、玉砕の島から生還した気概を感じました。また、震える手で家の設計図を書き、必要な材料を書き出し、声も聞き取りにくいのに電話で発注しようとする仕事への執念に驚きました。

 母は、脳出血のため半身不随でしたが、話はでき、周りの人たちにいつも「ありがとう、ありがとう」と感謝していました。
 若い頃は、毎日多忙で鬼のような形相・気迫で仕事していた人とは思えない、生き仏様みたいな姿に、感謝足らずの自分に反省させられました。 
 2人とも本当に子供みたいになって「尊敬するけど、かわいい」と思いました。

 両親を介護した7年半は、十分なことはできませんでしたが、多くの人に助けられ、介護・身障者また人生の終末期を考える良い機会を得られた、すばらしい充実した時期でした。
 父母と接触する機会が増え、父母の生き方・思い・恩を感じた時期でもありました。
 親は年とっても、要介護状態になっても、子に教えてくれるものだと感謝しています。

 中江藤樹の教えのように、私たちの心や体は、父母や先祖からうけつがれたものです。
 また、もともと大自然から授かったものです。父母を大切にし、先祖を尊び、大自然を敬う、さらに、子ども達をしっかりと育てて、未来につないでいければと思います。

理事長 久留 正成