Think Globally, Act Locally!!
   (地球規模で考え、地域で足元から実践)

令和元年8月30日

                                                        

 祖父母が住んでいた隠居を解体しました。
 父が生前、子ども達がUターンした時の住居にと、いつも点検し修理していました。
 しかし、誰も田舎に住むことはありませんでした。
 隠居を解体した跡は、何もなくぽっかり広い空間ができ、今まで夢を見ていたのではないかと思わされます。

 隠居ができたのは、昭和30年代、祖父母が70歳台でした。祖父母が隠居することになり、大工だった父が隣村から、古い家を解体して移動し、組み立てました。
 

 祖母は隠居の屋根裏に蚕を飼い、畑では蚕の餌になる桑を育てていました。隠居の横には、小屋があり、ミカンを保存し、味噌・醤油を作り、餅つきもしていました。
 また本家では、冬には和紙の材料になる楮を山から採取してきて、蒸した後、皮むきしていました。
 また、椿の種や菜種の種は圧搾して、油をとっていました。

 祖母の思い出は、私が畑で悪いことをして「手を切るぞー!」と鎌を持って追いかけられたことと、「正直にせーよ!」と、耳にタコができるくらい言われ続けたことです。

 祖父は、当時体調を崩していたので、病院の薬取りと刻み煙草の「ききょう」や葡萄酒などの買い物を頼まれ、5円の小遣いをもらえるのが楽しみでした。
 悪ガキだった私が裏山の孟宗竹に縛りつけられた時、山の上から赤顔の天狗が出てきて「まだ悪いことをするかー」と脅され、大変怖い目をしたことがあります。後に隠居の床の間に行ったら、赤顔の天狗の面が下げてありました。

 週二回、隠居の戸を開け風を通し、先祖の墓参りをしてきましたが、日清戦争・日露戦争・太平洋戦争を経験した明治生まれの人たちの生き方・生活を考えると、自立心や愛国心、道徳心、勤労の心、ものを大事にする心、先祖や子孫・地域を思う心そして習慣・行動等、考えさせられることがたくさんあります。
 
 また先祖が、生きつないできて自分があると思うと、感慨深いものがあります。
 先祖の恩に感謝するとともに、これからの世代にも、できるだけ多くのことを伝承していけたらと思います。

理事長 久留 正成